伊勢物語全講義

2021-02-11

伊勢物語の最善本である学習院大学蔵『天福本 伊勢物語』(武蔵野書院)影印本をワープロにおこしたもの(元テキストと呼ぶ、太字で示す)と、これを底本に、漢字を当て、句読点を入れ、改行し、歴史的仮名遣いに改めたもの(変更テキストと呼ぶ)の二つをテキストととする。両者ともに、渋谷栄一氏のテキストhttp://www.takachiho.ac.jp/~eshibuya/ismten1.htmlをもとに必要があれば訂正する。なお、元テキストは、細字・割注を、</>で記し、/は改行の印し。ヤ行「え(江)」は「江」とワ行「を(越)」は「越」と翻字されている。

第ゼロ回 テキストの伝来

「伊勢物語」(表紙直書)

(注)
・伊勢物語が表紙のタイトルになっていることをあらわす。

・直書(じきしょ)とは、表紙に貼り付けでなく、直に書かれていること。

此伊勢物語者京極黄門真跡
無雙之鴻宝也忝為
後花園院御秘本之処故相公
羽林<実連/朝臣>哥道器量抜群依
叡感賜之然而不幸短命長禄
三年十月廿日薨逝矣<于時/十七歳>
爰宮道親元年来昵近結膠
漆之交存其旧好附属此本
畢彼親元死去後依遺命
所返送予也
     前内大臣(花押)

(注)
・京極黄門は、中納言藤原定家1162~1241。黄門は中納言の唐名。

・鴻宝は、大いなる秘宝。

・後花園院、1419~1470。

・羽林は、近衛府の唐名。

・実連朝臣は、三条西実連1442~1458。

・宮道親元、1433~1488。

・昵近は、昵懇。

・膠漆之交は、にかわとうるしがくっつくように、極めて離れにくい特別な仲。

・予は、実連の弟である前内大臣三条西実隆(さねたか)、1455~1537。

 この部分は、本文に貼り付けとなっており、実隆自筆とされている。これによると、この学習院大学所蔵の天福本は、定家自筆の伊勢物語と読め、そう考えられてきたが、筆跡が明らかに定家でないため、返送された定家自筆本を他に譲る際に、実隆が別に書写したものと、現在では考えられている。以下、参考までに読み下しを付す。

此(こ)の伊勢物語(いせものがたり)は京極(きやうごく)黄門(くわうもん)の真跡(しんせき)、無双(むさう)の鴻宝(こうほう)なり。忝(かたじけな)くも、後花園院(ごはなぞのゐん)の御秘本(おんひほん)のところと為(な)る。故相公(こしやうこう)羽林(うりん)<実連朝臣(さねむらあそん)>歌道(かだう)の器量(きりやう)抜群(ばつぐん)、叡感(えいかん)に依(よ)り、之(これ)を賜(たまは)る。然(しかる)に不幸(ふかう)短命(たんめい)、長禄(ちやうろく)三年十月廿日薨逝(こうせつ)せり。時に十七歳。爰(ここ)に宮道親元(みやぢちかもと)年来(ねんらい)昵近(ぢつきん)膠漆(かうしつ)の交(まじは)りを結(むす)び、其(そ)の旧好(きうかう)在(あ)りて、此(こ)の本(ほん)を附属(ふぞく)す。畢(つひ)に彼(か)の親元(しかもと)死去(しきよ)し、後(のち)に遺命(ゐめい)に依(よ)り、予(よ)に返送(へんそう)されるなり。
 前内大臣(まへのうちだいじん)

これをたにいまははなれていせのあまの船なかしたるおもひとをしれ」(1オ貼紙)

(注)
・1オは、一頁目のオモテの意味。ウラはウと表記される。

・歌意はとりにくいが、ほぼ以下のように思われる。
 この貴重な伊勢物語までも、今は我が手より離れることとなった、伊勢の海女が自分の舟を海に流してしまったような、このつらい気持ちをどうかわかってほしい。

 「これをだに」の「これ」が、もとこの張り紙を附せられていたと思われる定家の自筆本を指すのか、実隆書写のこの書を指すのかは不明である。前者であると思われるが、自筆本に加え、この書写本までも手放すはめになったとの意味が「だに」にはこめられているのかもしれない。伊勢物語最善本であるこの学習院所蔵本の伝来を解くカギのひとつになると思われる貴重な資料である、この歌について、考究されていないのが不思議である。

 なお、「おもひとをしれ」について参考和歌をあげておく。「わかこひはこりたくしはのゆふけふりひをへてたたぬおもひとをしれ」(沙玉集、貞成(さだふさ)親王、756番)。「こりたく」は仏堂(こりたき)のことであろう。「こりたくしはのゆふけふり」は、あるいは火葬の煙か。わたしの恋は、仏堂で焚く柴の夕煙みたいなもので、わが心の火は、次の日には消えてしまうものだと思ってください。なお貞成親王は後花園天皇の父である。

講義は次の手順で行う。
一、原文としては、現在最善本とされている学習院大学所蔵のいわゆる天福本の影印本(小林茂美校注『伊勢物語』新伸社)を使用し、渋谷栄一氏のネットサイトhttp://www.takachiho.ac.jp/~eshibuya/ismten1.htmlを参考に現行の仮名に置き換えたものをかかげる。
二、注釈としては、上のテキストにさまざまな校訂を加えたテキストを一文ずつあげて読み進めてゆく。校訂としては、適宜仮名を漢字に漢字を仮名に改め、必要に応じて濁点を加えるなど行ったが、原文を変更した箇所はすべて下線を施した。
三、まとめでは、その段の主題をもう一度確認し、現行の解釈との違いを簡単にふりかえる。
四、付記では、渡辺実校注『伊勢物語』(新潮日本古典集成)付録の伊勢物語綜覧等を参考に、各段と関連のする文章を簡単に紹介する。
 なお、原文にはないが、各段のキーワードをもってタイトルとした。

初段 いちはやき雅

原文
むかしおとこうゐかうふりして
ならの京かすかのさとにしる
よしゝてかりにいにけりその
さとにいとなまめいたるをんな
はらからすみけりこのおとこ
かいまみてけりおもほえすふる
さとにいとはしたなくてありけ
れはこゝちまとひにけりおとこの 1ウ
きたりけるかりきぬのすそを
きりてうたをかきてやるそのお
とこしのふすりのかりきぬをな
むきたりける
新古今かすかのゝわかむらさきのすり衣
  しのふのみたれかきりしられす
となむをいつきていひやりける
ついておもしろきことゝもや思けん
古今みちのくの忍もちすりたれゆへに
  みたれそめにし我ならなくに 2オ
といふうたの心はへなりむかし人
はかくいちはやきみやひをなん
しける
河原大臣哥也<左大臣源融寛平七年八月(月+廿五日)薨<七十/三>/於在中将非幾先達如何>

注釈
むかし、男(をとこ)、初冠(うひかうぶり)して、奈良(なら)の京(キヤウ)春日(かすが)の里(さと)にしる由(よし)して、狩(かり)に去(い)にけり。

※下線は元テキストからの異同文字。カタカナの読みは校訂テキストで補ったことを示す。

・初冠/二説あり、A初めて冠を付ける儀式である元服を指すとの解釈と、B初めて爵位を得る叙爵を表すとの解釈がある。冠(かうぶり)は「得」「賜(た)ぶ」「給(たま)ふ」などの動詞を取る場合は、叙爵の意味となり、「す」というサ変動詞では、叙爵の意味を表せないという。叙爵は受けるものだから、サ変動詞と続けられないのである。従ってB説は一般に否定されている。しかし、小松茂美氏の説、「貴族の子弟が元服して、初めて従五位をいただくこと。「元服」と解しては不十分。成年式のための物忌みに服する期間、そのしるしとしてつけるのが冠。これを脱いで初めて元服したことになる」は、なお検討に値する。つまり、初冠は、初めて冠をつけることであり、その行為はサ変動詞と接続可能である。通説は、初めて冠をつけることを、元服とみなすが、これは元服にいたる物忌みの期間であって、元服式の途中であり、元服は終わっていないとのことである。両説がともに可能であれば、判断を下す基準は、この語そのものにあるのではなく、どちらの説がよりこの段全体をより深く理解させてくれるかという基準になる。諸説とも単に注するのみで、そう読むことで全体がどのように生き生きと読めるかという検討がない点、必要十分条件を満たしていないと思う。結論から先に言えば、この語の理解にとって重要なことは、元服でも従五位の位を得たことでもなく、まさに成人途中の物忌み期間に、「女はらから」との恋愛事件が行われた点にあるのだ。「初冠し」とは、外延としての意味は、初めて冠を身につける行為そのものを指し、その内包するところは、成人途上の物忌み期間であることを示し、その行為の結果として、冠を付けた状態で狩に来ているのである。物忌み期間であることがなぜに大事かは、以下の注釈で明らかになるであろう。

・しる由/二説あり、A「統(し)る」と漢字を当て、領地を所有しているのでと考える説と、B「知る」と漢字を当て、知人の縁でと考える説とに分かれる。しかし、相続するなどして自分が領地を所有しているなら、「由」に接続するのはおかしい。由は間接的理由であり、直接的理由は故(ゆゑ)である。いまだに「統る由」とする注釈があるのはどうかと思う。

・奈良の京春日の里/春日の里は今の奈良公園あたりであり、奈良市内となるが、平城京は、今の市内より西にあったので、春日の里は東のはずれである。さらに時代背景として、京都に遷都が行われた後であるから、廃都の外れ、人の住まない場所である。
 なお、本文の読解とは直接関係ないが、伊勢物語の主人公とされている在原業平の祖父は、平城(へいぜい)上皇である。平城上皇は、平安遷都後も平城京に残り、再度都を戻そうとした人物。薬子(くすこ)の変で敗れ、業平の父は、親王から人臣に下ることで在原姓を得て生き延びる。業平は、世が世であれば、帝にも成り得た物語の主人公としての資格を十分に備えているのである。このように平城京と業平とは密接なつながりがあるのである。

狩/鷹狩り。

去ぬ/行くが移動途中に重点があるのに対して、去ぬは行き着いた先に重点があると説明されている。

その里(さと)に、いとなまめいたる女(をんな)はらから、住(す)みけり。

なまめいたる/なまは、まだ熟さない状態。めくは、そのように見える。つまり、すでに成熟していながら外見には初々しく見えるさま。男が、成人と子供の中間にあるのと、対をなし、女も成熟しながらも初々しいのである。

女はらから/諸説ともに女姉妹、すなわち姉と妹と考え、第四十一段の「昔、女はらから二人ありけり」と結びつける。「女はらから」には姉妹(sisters)の意味もあるが、ある人の同腹の姉または妹(one’s sister)の意味もある。こちらの意味を検討せずに、頭ごなしに注をつけるのは危険である。まず、初段のみで女が二人いなければ文が通じない箇所は一カ所もない。逆に、女が二人であることは自然さに欠ける。次に第四十一段と結びつけるのは、「女はらから」の文字だけであり、内容的に初段と関わりを見ることはできない。この歌はこの歌の心持ちであるという、歌を歌で解釈する書き方は似ているが、「女はらから」の文字がなければ、初段と第四十一段はつながりを見る方が無理である。そもそも「女はらから二人」という表現と、「女はらから」という表現は同じなのだろうか。「主のはらからなる主」百一段は、行平の同腹である業平の意味であり、「女はらから」とあるだけでは、姉妹二人とも、誰かの姉(妹)とも区別はできないのである。
 回りくどくなったので、結論から述べる。伊勢物語でもっとも重要な恋愛事件は、伊勢の斎宮との恋愛であり、ついで清和天皇の后である藤原高子(たかいこ)との恋愛である。ともにタブーを破ることだが、それが権力を持たない敗者である業平の文学的復活なのである。「女はらから」は、この斎宮ないしは高子の姉または妹と読む方が、伊勢物語も深く理解することになるのではないか。廃都である春日の里に若い美人がいるという設定を素直に理解するには、春日大社の巫女と読むのが自然であり、これは斎宮とパラレルの関係にある。また春日大社は藤原氏の祖祀であり、藤原氏がその子女を斎女(いつきめ)として送っていたであろうことは容易に想像される。初段と第二段は時間的につながりがあり、第三段からは高子との恋愛が話題となることからして、高子の姉(妹)であると読むことは、伊勢物語全体の構成から見ても自然であると思う。業平と高子の年齢差は十七であり、当時の元服時期が十一才から十五才くらいであるから、高子はまだこの世にないことになる。従って、高子の年の離れた姉ではないかと想像される。業平と同年齢で、高子の異母姉である藤原有子を金田元彦氏は比定されている。異母腹と同腹の食い違いはあるものの、フィクションを産み出す種として、この説は傾聴されてよいと思う。しかし、歴史的人物を同定することよりも重要なことは、伊勢物語を全体としていかに深く読むことが可能になるかである。わたしの結論は、時の権力者である藤原氏の祖祀である春日大社の斎女を見初めることが、のちに同腹という血縁関係から高子との恋愛を生み(古代において姉妹と契ることは自然な恋愛のあり方であった)、斎女のパラレルとしてのちに伊勢の斎宮との恋愛を生むと読む縁となるのである。つまり、フィクションとして、この春日の里の女はらからは、高子と斎宮の両方の姉であり、両者との恋愛をもたらす先触れとしての役を担わされているのである。

この男(をとこ)垣間見(かいまみ)てけり。

垣間見る/男が見知らぬ女性と知り合う恋愛の常套手段。

思(おも)ほえず、ふる里(さと)に、いとはしたなくてありければ、心地(こゝち)まどひにけり。

思ほえず/想像もしなかったことだがの意味を表し、かかる場所が二説に分かれ、A「(女はらからが)いとはしたなくてありければ」にかける説と、B「心地まどひにけり」にかける説がある。自分の気持ちが動揺したことが予期しなかったというBの解釈はおかしい。心の動揺の直接原因である女はらからに焦点が合ってなければならない。「いとはしたなくてありければ」にかけるのが正しい。しかし、その意味は正しく理解されていない。

ふる里/廃都のこと。

はしたなくてありければ/「はしたなし」は規格に合わない意味の「はした」に強調の「なし」がついたもの。不作法・情に欠けるなど悪い意味で使われる語である。しかるに諸注は、廃都に不釣り合いな美人がいると解釈し、その間の意味の差を埋めようといろいろ言葉を用いるが、なんとも独り合点で説得力にかける。ここの正しい意味は、やはり男にとって悪い意味なのだ。つまり、男がどう手を出そうが、その女を獲得できない状態で女はいたということ、女は神官として、男を寄せ付けない女なのである。若い美人であれば当然若い美男子と恋に落ちるはずであるが、それを許されない状態として女はそこに住んでいたという意味が、「はしたなくてあり」である。「て」は、そのような状態での意味。先の「思ほえず」は、こんなところに美人がいることが意外だったのではなく、美人であるのに男を寄せ付けないという状況が「思ほえず」なのである。

心地まどひにけり/「まどひ」は解決策がなくて窮すること。諸注は、思わぬ美人に気が動顛してと読むが、これも間違いである。相手が結界の中にいて、手を出すに出せず、どうにもなりそうになくて窮しているのである。

男(をとこ)の、着(き)たりける狩衣(かりぎぬ)の裾(すそ)を切(き)りて、歌(うた)を書(か)きてやる

男の/「の」は主格で、「書きてやる」が述語。

狩衣/鷹狩りの服装。狩はもと吉凶を占う行為であり、狩衣はそのための小忌衣(おみごろも)であった。のちに晴れの衣装となり、平安時代には貴族の平常の服となった。

その男(をとこ)信夫(しのぶ)摺(ずり)の狩衣(かりぎぬ)をなむ着(き)たりける

信夫摺/二説あり、A陸奥(むつ)の国、信夫郡の産とする説と、B忍草(しのぶぐさ)を衣の下に敷き、上から染料を擦りつけて忍ぶ草の形を染め出したものとの説がある。型染めであれば、忍草である必要がないとの理由で、B説は少数派であるが、それは間違いである。忍草の葉の形は、小忌衣であり、物忌みの服装である。元服の途中であって、物忌みの期間であることの証しがここにあるのだ。信夫郡の産出では後の歌の「乱れ」が意味をなさない。染料を擦りつけて染めるので、液につけて染める草木染めのようなやり方よりもムラができる。それが乱れなのだ。

春日(かすが)の野(の)若(わか)むらさきのすり衣(ゴロモ)しのぶの乱(みだ)れかぎりしられず

春日の野/春日の里

若むらさき/紫は高貴な色であり、高貴な出である女はらからを象徴するとともに、男の狩衣の色を表す。

すり衣/紫色で摺り込んだの意味と解釈されているが、女の存在を男の心に擦り込んだの意味をもかける。この点がこの歌の要だ。

しのぶの乱れ/忍ぶ気持ちが抑えつけられないの意味と、信夫摺りにムラがあることと諸注は解釈するが、女が神官でないなら、忍ぶ必要はない。ここは気持ちを抑えなければならない必然性があるから忍んでいるのである。それは相手が神官であるだけでなく、自分が物忌みの期間であることも加わっている。これを破ってしまいそうだというのだ。このどうにもならない苦しみに思いを馳せなければ、この歌を理解したことにならない。単に、いい女をどう料理しようかといった軽い歌とはまったく違うのだ。

となむをいつぎて言(い)ひやりける

をいつきて/三説ある。A「老(お)ひづきて」を当て大人ぶっての意味、B「追ひつきて」を当て即座にの意味、C「追ひ継ぎて」でちらし書きをせずの意味。Cは源氏物語の「陸奥紙に追ひつぎ書き給ひて」と出て来るのが根拠となっている。
 Aでは仮名の「を」を「お」に読まなければならない無理があるし、あとに作者(あるいはこの段の編者)の注が入るのに、ここで草子地が入るのも不自然である。Bは現在主流な解釈だが、男の窮地からして、すぐに歌が出たと読むことには無理がある。恋文であればいかに美しく書いて相手に訴えるかが問題になるが、そうした余裕がないことが、この場の解釈としてはふさわしい。

ついでおもしろきことともや思(ヒ)けん

 (ヒ)は「思」に「ひ」を送ったことを表す。

ついでおもしろき/機会。ちょうど若紫の信夫摺の狩衣を着ていたことが、成就しない恋の相手に苦しみを訴えることにふさわしかったこと。この状況を喜んだわけではない。

みちのくの忍(シノブ)もぢずりたれゆゑに乱(みだれ)そめにし我(ワレ)ならなくに

みちのくの/信夫にかかる枕詞

忍/忍草と地名の信夫をかける。「みちのくの忍もぢずり」が「乱れ」を呼び起こす序詞。

たれゆゑに/あなた以外の誰のために

我ならなくに/そんな私ではないのに

といふ歌(うた)の心ばへなり

心ばへ/趣向。男の歌の主旨が左大臣融の歌の主旨と合致していたことをいう。

昔人(むかしビト)は、かくいちはやきみやびをなんしける

昔人/男をさらに時間をおいて一般化することで、逆に業平であることを匂わせる。

いちはやきみやび/いちはやきのいちは、神威霊威をあらわし、それらがさっと恐ろしい力で働くことがいちはやしの原義であり、手向かいできないほど激しい力が働くことであって、早さを意味する言葉ではない。諸注はすばやさ、機転の効き方ととるが、原義にそぐわない。これは性衝動の激しさを言うのであろう。それをその場の状況に合わせた歌というソフィスティケートされた形で表現することが「みやび」なのである。性の激しさとこれを包む文化的洗練がいちはやきみやびである。つまり、自分が物忌み中であり、相手は神官であり、いずれにしても恋の成就はかなわないという状況の中で、どうにもならない性衝動を、その場にふさわしい歌に昇華したことが、いちはやきみやびなのである。歌を書き付けたのが、紙でなく信夫摺りという小忌衣を切り取って送ったという、とっさの行為に、タブーを破ったことが、あるいは今後もそうしたタブーを破るであろうことが、象徴的にあらわれているところに、この段の文学的魅力がある。

河原大臣哥也<左大臣源融寛平七年八月(月+廿五日)薨<七十/三>/於在中将非幾先達如何>

河原大臣の歌なり(左大臣融、寛平七年八月二十五日薨ず七十三)
在中将より幾(いく)ばくの先達にもあらざるを如何(いかん)

業平よりも三歳しか違わない融の歌を本歌にしているのはおかしいのではないかという、定家のメモ。

[まとめ]
 この段は、初々しい青年が、初々しい女性を垣間見て、動揺しながらも、機知ある歌を送ったすがすがしい段であると読まれてきた。しかし、わたしは、この段は、高子や斎宮との悲恋を先取りした、悲劇の始まりを告げる段であると読む。「いちはやきみやび」は、荒々しい性の衝動を歌(あるいは広く文化)によって手なずけようとしながら、結局リビドーに翻弄されるしかない業平(ないしわれわれ)の生のあり方を象徴的に物語る意味深い言葉であると思う。その意味でも、この段は、伊勢物語全体にとっての初段として誠にふさわしい段である。この主題をじっくり構えて散文で仕上げるならば、源氏物語へ至りつくことも可能であろう。無謀さと風雅の両面を持ち合わせていることが、業平また光源氏の男性的魅力なのである。
 しかしながら、この段が、どこか牧歌的で、苦悩が表面化されて映らないのは、本当の意味での生の苦しみとは無縁である、二人の若さが起因することであり、その意味では、ほほえましい段である。

付記
「女はらから」について。
 この段に関連する詞書きとして在中将集、業平集が知られている。
 かりにまかりて、かへりけるに、しのふすりのかりきぬのはしをきりて、うたをかきて、女につかはしける
 かすかのゝのわかむらさきのすり衣 しのふのみたれかきりしられす(在中将集)
 かすかのさとゝいふところにいきたりしに、いとよき女のありしかは、しのふすりのきぬをやるとて
 かすかのゝわかむらさきのすりことも しのふのみたれかきりしられす
  返し
 みちのくのしのふもちすりたれゆへに みたれそめにしわれならなくに(業平集)
 むろん、ここをもって伊勢物語の本文が女二人でないことの証左にはならないが、女はらからという語以外に、初段の設定が女二人である必要はなく、先に説明した通り、女はらからには、姉妹の意味以外に、誰かの姉または妹の意味があるのであって、その場合には、女はひとりとなる。なお、「みちのくの」の和歌を女の返しとすれば、伊勢本文とは意味が異なってきて、「われならなくに」は、思わず知らずの意味から、わたし以外の誰かのせいであなたは心を乱しているのでしょうとの意味になる。

二段 まめ男

原文
むかしおとこ有けりならの京は
はなれこの京は人の家また
さたまらさりける時にゝしの京
に女ありけりその女世人にはま
されりけりその人かたちよりは心なん 2ウ
まさりたりけるひとりのみもあら
さりけらしそれをかのまめ越と
こうちものかたらひてかへりきて
いかゝ思ひけん時はやよひのついたち
あめそをふるに
      やりける
古今おきもせすねもせてよるをあかし
                  ては
  春の物とてなかめくらしつ
越は「お」を表す。

注釈
むかし男(をとこ)有(あ)(り)けり

下線つきの括弧は、その送りを補ったことをあらわす。

奈良(なら)の京(キヤウ)ははなれ、この京(キヤウ)は人(ヒト)の家(イヘ)まださだまらざりける時(トキ)に、西(にし)の京(キヤウ)に女(ヲンナ)ありけり

奈良の京ははなれ/この文で注目すべきは、助詞「は」である。AはBし、CはDするという対立を示す。奈良の京を離れ、であれば、初段の女のもとから男が奈良から戻ることを意味するが、ここは奈良と京都それぞれについて述べているのである。したがって、この場合、奈良の京ははなれ、とは、奈良の京からは、都が・人々が・人心が離れほどの意味となる。

この京/この段からは判断できないが、後の段と考え合わせると、平安京と考えてよい。ちなみに、奈良の平城京から長岡京に遷都が行われたのが延暦三(784)年で、長岡京から山城に遷都が行われたのが延暦十三(794)年である。

西の京/平安京の南北の中央を走る朱雀大路をはさんで西側。平安京は、かなり後まで、西の京は発達しなかった。

女/業平と関係のあった西三条左大臣良相の女(むすめ)、染殿(そめどの)の内侍(ないし)との説がある。

その女(ヲンナ)世人(ヨヒト)にはまされりけり

その人、かたちよりは心なんまさりたりける

心なんまさりたりける/風流心があり、男心がわかる女。

ひとりのみもあらざりけらし

「ひとりあり」は、女の通う男がいない状態をいう常套語句。その否定は、ひとりにあらず、で、それを強調した形が、ひとりのみにあらず。これに、そうでもなかったというニュアンスをつけると、ひとりのみ(に)もあらず、となる。「らし」は、A根拠のある推量をあらわす場合と、B一般的推量を表す場合があり、時代的にはAの用法からBの用法へ移ってゆくが、ここはその中間的な使用例で、男が通っている確かな根拠ではないが、世の人よりも心がまさっている点が、通う男がいることの間接的原因になっていると見てよい。

それを、かのまめ男(をとこ)、うち物語(ものがたら)ひて、帰(かへ)りきて、いかが思ひけん、時は弥生(やよひ)のついたち、雨(あめ)そほふるにやりける

それを/「を」を格助詞と考えては、これを受ける動詞がみつからない。それをものがたらふ、という表現は自然でない。この「を」は逆接を表す接続助詞と考えるよりない。それなのに、つまり、すでに通ってくる男がいるのに、の意味。

かの/語り手と聞き手の間に、既知であるとの了承があることを示している表現である。「むかし、男ありけり」という表現は、物語の出だしの常套語句を繰り返しているだけであり、この出だしの「男」には属性はなく、これを指して「かの男」と言っているのではなく、かの男は、この段を越えた共通イメージに支えられていることになる。物語の通常のルールからすれば、初段の男を受けるはずだが、初段の男を指して、「かの」と語りかけられるほどには、読者は、初段の男のイメージを具体的には持ち得ておらず、また初段の漠たる男のイメージを、「まめ」との属性で集約されることには、素直に受け入れられない思いが残る。この段階では、初段では知れなかった男の側面が別にあり、わたしたちは今はそれを知らされていないが、彼が「まめ」な男として、世に知られているのだとの情報が、間接的に伝わってくるのみである。

まめ男/女に対して誠実である男。あだ心のない、つまり、(浮気はしても)女を見捨てることのない男という意味が一般的であるが、ここではいささか揶揄されているような気がする。これについては後述する。

うち物語らひ/うちは、ちょっとというニュアンス。「物語らふ」は二説あり、A女と契り、Bいろいろ話をし、に分かれる。この違いは、この段全体の読みに関わる非常に大きな違いである。B説の根拠は、語らふには男女が契りを結ぶという用法があるが、物語らふという表現は、極めて稀な表現であり、この場合は、単にあれこれ話をするという以外の用法はないと、他の例を示してあげている。たしかに説得力がありそうだが、絶対数が少ないのであれば、用例が見つからないとの理由のみで否定するのは、根拠として薄い。この段の中自体で、女と契ったか契っていないかの根拠はないものだろうか。後述。
 なお、この段のもとになっている古今和歌集の当該和歌が、歌の順序からして女と契る前であるとの根拠は、傍証にはなりえても、これをもって性交渉のない証しにはなりえない。

いかが思ひけむ/意味はどう思ったのだろうか、という過去に対する語り手の推量であるが、大切なのは、何に対してどう思ったのだろうかと、作者は言っているのかを見定めること。要は、この挿入句が、どこにかかるかを見ればよく、そのかかっているものに対して、語り手はどう思ったのだろうかと疑問を投げかけているのだ。ここでは、「やりける」にかかるから、どうして歌を送ったのだろうかとの疑問と考えるしかない。このようにくどく説明するには、理由があり、いかに多くのばかげた読みがまかり通っているのか、いちいち挙げられないほどである。それらの読み方は、まったく古文の読み方を知らないとしか言いようがない。その多くは、もどって来た時の、男の気持ちを語り手が、どう思ったのだろうか、恋しくてたまらないだろう、うぶくて契りがうまくいかずさぞ物足りなかろう……といった、まったく注釈者の勝手な想像である。挿入句というのは、その前を受けるのではない。「A、B、C」という表現で、Bが挿入句であれば、それは「AC」という完全な文があり、「AC」という文に対しての、外側からのコメントがBなのである。「かへり来て……(歌)やりける」の間に挿入があるからには、帰ってきたことに対してではなく、(帰ってきて)歌を送ったことに疑問を挟んでいるのである。
 では、語り手の疑問とは何か、なぜ歌を送ることが疑問になるのか、それを理解することはそうやさしくはない。まず、考えられるのは、送った歌が、その状況にふさわしくない場合。しかし、そうおかしな歌でもなさそうである。では、歌が遅かったからか、後朝の歌なら、午前中につくようにするのが礼儀とされていた。しかし、遅いという文脈は表立って述べられていない。男のある身の女に送ったことが問題なのだろうか、しかし、それなら、歌が問題ではなく、女と契ったことがさらに問題であろう。
 このように考えていても結論は見つかりそうにない。もう一度読み直す。「いかが思ひけむ……やりける」、つまり、ここを素直に読むと、歌を送ったことそれ自体が問われているのである。つまり、この場合、歌を送るような状況ではないのである。であれば、やはり、女に別の男がいるから、見られてはいけないからだと、へんな理由を考える注釈書があるが、そうではなく、物語しただけで、後朝の歌らしき歌を送ることに語り手は疑問を呈しているのだ。うぶすぎる「まめ男」である。
 語り手が登場するのは、この「いかが思ひけむ」と「かの」の部分であり、いかが思ひけむが、昔男を揶揄していることから、「かの」につづく「まめ男」も揶揄してひびくのである。

おきもせずねもせでよるをあかしては春(はる)の物(もの)とてながめくらしつ

おきもせず/おきは、「起き」と「燠(おき)」をかけ、燠・赤し・春は縁語。燃え立つことなく起きもてもいないで。

ねもせで/ねは、「寝」と「根」をかけ、根・張るは縁語。寝ることもその場に根付くこともなく。

よるをあかして/よるは、「夜」と「寄る」をかけ、あかしは、「明かし」「赤し」「飽かじ」をかける。「ては」は、理由を表し、その帰結があとにくる。夜を寄り添うことなく、満足もしないで明かしては。

はるのものとて/はるは、「春」と「張る」をかけ、春の物は「春物(しゆんぶつ)」、すなわち、春の花をかける。心身共に恋の思いに張りつめたまま、相手の女を春の花として。「とて」はとしての意味。まず、春の物を、春によくあるものと注釈されてきたが、これが直接かかる長雨は、けっして春のものではなく、秋や梅雨であり、あきらかな解釈間違いである。これを、漢語の「春物」として理解する解釈が新たに提出されたが、春の景物という意味、日本語漢和辞典に書かれた語義により解釈されたために、結局意味をなさなかった。漢語大詞典によると、この語は、春の万物を表すが、決まって、それは花々のことである、と定義されている。従って、よく引かれる「坐憐春物尽、起入東園行(坐して憐(おし)む春物の尽きんとするを、起きて東園に入りて行く)(白氏文集)も、春物は百花のことである。
 「春の物とて」は、春の花とての意味になるが、「とて」をこれまでのように理由と考えたのでは、春の花だから(雨を)ながめくらしたでは、意味をなさない。相手の女を雨にあった春の花として、遠くから眺めくらすとなる。

ながめくらしつ/ながめは「長雨」と「眺め」(遠くを眺める意味と、性的に満足できず、ぼっとしながらものおもいにふけるの両義も兼ねる)をかける。くらしは、「暮らし」と「暗し」をかける。「つ」は完了。その日一日を眺め暮らしたとの意味もとれるが、決意としてそうするのだと今決めた(現在完了)と考えれば、眺め暮らすのだとも解釈できる。なお、雨は、春の花には、恵みの雨であり、それは、自分以外に通う男を意味する。

 燃えもせず、立ちもせず、寝もず、根付きもせず、側に寄っても夜を飽き足りることなく明かしたのでは、明るい春の花も、慈雨として濡らすのは自分ではなく、遠くから暗い気持ちで眺め気を揉むばかりだ。

 ちょっと親しく話しをしただけで、こんな熱烈な歌を読まれたのでは、ある意味女もたまったものではなかろう。表立った非難はないものの、かのまめ男というニュアンスには、そうした、物慣れなさへの揶揄が籠もっているように思う。

まとめ
 「うち物語らひ」の意味により、決定的に解釈が変わってくる。話だけなのか、手もつけたのか。これを決定するのは、「いかが思ひけむ」の解釈であり、それは、挿入句がどこにかかるかの問題に、結局は落ち着くのである。つまり、歌を送ったことに対して、どういう気持ちで送ったのかと作り手は疑問を挟んだのである。男女が一夜を明かしたのであれば、歌を送るのは当たり前であり、語り手が、いかが思ひけむ、などと口をはさんだりはしないのである。
 「春のもの」は、春の花である。語義的には、百花の一輪であり、この表現の中にすでに、この恋を、ひとつの思い出にしようという決意が見て取れる。それにしても、この歌、一般には、「ながめ」が「長雨」と「眺め」の掛詞としか説明されていないが、初段に劣らず、実に高度なテクニック支えられた歌であるかを、よく味わっていただきたい。
 解釈は別として、この段のポイントは、「まめ男」である。「まめ」さは、誠実である反面、お堅く、物慣れず、息苦しい場合もでてくるのだ。「いちはやきみやび」が、性衝動の激しさと、それをソフィスティケートさせる洗練さの対比的合成語であったように、「まめ男」は、誠実で女につくす結果として女を追いつけてゆくことにもなる男の性(さが)の二面性をふくんだ表現である。このいちはやきみやびという側面と、まめ男ぶりは、伊勢物語の底流に流れ、以後の各段に、いろいろな配合率で現れることであろう。初段と二段は、「かたち・心」「奈良・京」「いちはやさ・まめさ」など対比的でありながら、ふたつの段が伊勢物語の巻頭の段としての役割を十分に担っているように思う。
 なお、両段とも、女の反応も、歌の返しもないことが気になる。果たして、昔男は、光の君のように、本当に相手の女性を幸福にしているのだろうか。この疑問は、全段を読んだ上で、再度検討すべきであろう。

付記
 やよひのついたちにしのひに人にものらいひてのち、あめのそほふりたりけるによみてつかはしける
 おきもせすねもせてよるおあかしては はるのものとてなかめくらしつ(古今集)
 「ものらいひて」は物などを言ってであり、性交渉を意味しない。ものを言ひなどしてなら、言外に性交渉を意味するとも考えられるが。

三段 ひしきもの

原文
むかしおとこありけりけさうし
ける女のもとにひしきもといふ
ものをやるとて
  思ひあらはむくらのやとにねもし
                なん
  ひしきものにはそてをしつゝも
二条のきさきのまたみかとにも
つかうまつりたまはてたゝ人にて
おはしましける時のこと也

注釈
むかし、男(をとこ)ありけり。

特に注する必要なし。

懸想(けさう)じける女のもとに、ひじき藻(も)といふものをやるとて

懸想じ/思いをかけること。好きになること。

ひじき藻/今のひじき。海草類は当時は高級食材であり、神饌として伊勢神宮などにも奉納されていた。

といふもの/もってまわった言い方は、当時ひじきが馴染み少ない言葉であったことを示すであろうし、折口氏は改まった言い方で高級感を与えると説く。しかし、一番大切なのは、後の歌の「ひしきもの」の「もの」という言葉を導き出すための表現である。

やる/贈ること。距離感を感じる表現である。

思ひあらばむぐらの宿(やど)に寝もしなんひじきものには袖(そで)をしつゝも

思ひあらば/「未然形+ば」で仮定条件。思いがあるならの意味である。主語をわたしとする説は文法的におかしい。あなたが思ってくださるならと考えるか、一般に好きな思いがあればの意味か、互いに思いがあるならばとの意味である。また、「思ひなくば」の間違いではないかとの説もある。あなたがわたしを思ってくださならないなら……してしまおう、との意味で、ふて腐れた歌になってしまう。好きな人に、プレゼント攻勢して贈る歌ではない。

むぐらの宿/葎が生い茂る宿、貧しい鄙の家。

しなん/きっとしてしまうだろうという、つよい思い。

ひじきものには/「ひじきも」と「しきもの」をかける。「引き敷物」の略で「ひしきもの」であろうとの解釈があるが、「引き敷物」という言葉は存在していない無理な解釈である。

袖をしつつも/袖をすという表現が他にない表現で、意味のはっきりしない言葉であるが、袖を通すということであろう。「AにはBしつつもCしなん」という構文で、たとえAに対してはBしてでもCしようとの意味である。

意味をとる。
 好きであれば貧しい宿で寝られもしよう、敷物を夜具にし、たとえ禁を犯してでも。

 わたしはそういう思いでいるが、あなたはどうですかとの問いかけであろうと解釈する。なお、「ひしきもの」には「非色もの」の意味がかかっているように思う。つまり、使用を許されていない色の服、それに袖を通すというこは、禁を犯すことである。恋の相手は、のちに帝の女御になる女性であり、この時点では、まだ帝に仕えていないから、その意味では禁じるものもないが、後の段でみるように、業平は親兄弟の許しのないまま、逢瀬を重ね、ある時には、女を奪い取って、駆け落ちまでするのである。そうした後の運命を取り込み、「ひじきものには袖をしつつも」と詠んだ(この段の書き手は、フィクションながら業平に詠ませた)のである。この恋の荒々しさこそが、「いちはやきみやび」なのである。

二条の后(きさき)のまだ帝(みかど)にも仕(つか)うまつりたまはで、ただ人にておはしましける時のことなり。

二条の后/藤原高子(たかいこ)、清和天皇の女御となり、陽成天皇を生む。

ただ人/男の場合、帝へ参内する位を持たないということ。それを比喩的に女性に用いたのであろう。

まとめ
 難解な歌だが、「AにはBしつつもCしなん」という構文さえ押さえれば、表面的な歌意はとれるはずである。逆に、たとえBしながらもの意味を、よいことをしながらととっている解釈は、あきらかな間違いである。「ひしきもの」に「非色もの」をかけると解釈し、これが業平の決意であり、その後の業平の行動を予言するものになっていることを説いたが、むろんそんな解釈はこれまでない。しかし、そうした解釈でもなければ、何ら面白みのない段である。もっとよい解釈が生まれることを期待する。

付記
 この段は、大和物語の百六十一段の前半と関連し、その後半は、伊勢物語の七十六段と関連する。

 在中将、二条の后宮いまだ帝にも仕うまつり給はで、ただ人におはしましけるに、よばひたてまつりける時、ひじきもいいふものをおこせて、かくなん、
 思ひあらばむぐらの宿に寝もしなんひじきものには袖をしつつも
となんのたまへりける。かへしを人なん忘れにける。
 さて、后の宮、春宮の女御ときこえて、大原野にまうでたまひけり。御供に上達部、殿上人いと多く仕うまつりけり。在中将も仕うまつれり。御車のあたりに、なま暗き折に立てりけり。御社にておほかたの人々、禄給はりて後なりけり。御車のしりより、たてまつれる御単衣の御衣をかづけさせたまへりけり。在中将たまはる時に、
 大原や小塩の山も今日こそは神代のことを思ひ出づらめ
としのびやかに言ひけり。昔おぼし出でて、をかしとおぼしけり。(大和物語)

 ひじきもの歌は、大和物語では求婚の歌であり、伊勢物語においても、見た目以上に情熱のこもる歌として解釈すべきことがわかる。また、後年、后の宮が業平に単衣の着物を与えることで、ひじきものの歌を思い出すことから、ひじきものの歌が着物に関連の強い歌であると考えねばならないことがわかる。こうした方向からも、この歌を再考すべきである。

四段 昔の春

原文
むかしひんかしの五条におほき
さいの宮おはしましけるにし
のたいにすむ人有けりそれ
をほいにはあらて心さしふ
           かゝりける
ひとゆきとふらひけるをむ月の
十日はかりのほとにほかにかくれ
にけりありところはきけと人の
いきかよふへき所にもあらさりけ
れは猶うしと思ひつゝなんあり
ける又のとしのむ月にむめの
花さかりにこそをこひていき
てたちて見ゐて見ゝれとこそに
にるへくもあらすうちなきてあはら
なるいたしきに月のかたふく
            まて
ふせりてこそを思いてゝよめる
古今月やあらぬ春や昔のはるならぬ
  わか身ひとつはもとの身にして
とよみて夜のほの/\とあくるに
なく/\かへりにけり

注釈
むかし、東(ひんがし)の五条に、大后(おほきさい)の宮おはしましける西(にし)の対(たい)に、すむ人あり(有)けり。

大后の宮/文徳天皇の母である五条后順子。

すむ人/前段の二条后、藤原高子を暗示する。

それを、本意(ほい)にはあらで、心ざしふかかりける人(ひと)、ゆきとぶらひけるを、睦(む)月の十日ばかりのほどに、ほかにかくれにけり。

この部分解釈にゆれがある。「本意にはあらで」をA「心ざしぐかけりける」にかける説と、B「ゆきとぶらひける」にかける説とである。これは現代も決定されていない。志が深いとは要するに愛情の深い人であり、それは業平の性質であって、本意不本意の問題ではない。A説は論外である。B説は、もともと藤原家の娘を政敵である業平が好きになるはずはなく、もともとそうするつもりではなかったのに親しく訪問するようになったと考える。その説明は納得できないわけではないが、この段では、好きな女を引き裂かれた男のやり場のない苦悩がテーマである。短編という形式は、すべての部分がひとつのテーマに向かうものである。もともとそんな気がなかったという説明は、この短い物語にとって不要な描写でないかろうか。
 一般論として、AかBかで説が揺れる時には、どちらでもないC説を考えるのが、経験的によいように思う。その意味はのちほどわかろう。
 実のところ、「本意にはあらで」が問題なのではなく、諸注が「それを」を無視しているところに問題があるのだ。諸注は「それを」を「ゆきとぶらひ」にかけるが、「それをとぶらひ」という表現は、なんとも不自然である。女性のもとに通う場合、「ゆきとぶらひ」でよいのであって、「それをとぶらひ」とは言わない。「それを」は、それなのにという意味の逆接である。昔、五条后の西の対に女は住んでいたのに、不本意ながら、よそに隠れることとなった、との意味である。「心ざしふかかりける人ゆきとぶらひけるを」の「を」も接続助詞で、せっかく、愛情深い男が通うようになっていたにもかかわらずの意味である。「ほかにかくれにけり」は、清和天皇の女御になったことを暗示する。ここまで、二条后を主人公として描写されているのである。伊勢物語の各段の書き出しにおいて、業平より身分の高い人が登場する場合、「昔男ありけり」のパターンは崩れ、横合いから業平が登場することが知られている。第三文より、主体が業平になるのである。

ありどころは聞(き)けど、人のいき通(かよ)ふべき所にもあらざりければ、なほ(猶)憂(う)しと思ひつつなんありける。

女の居所を尋ねるが、普通の人が行けるような場所ではない、すなわち、女は後宮に入ったがために逢いにゆこうにも行けず、つらい思いで日を暮らすのである。「なほ」は、女のもとに行けないとはわかりつつも納得できないのである。それは、物理的に行けない場所であるためでなく、時が時なら、業平こそが天皇となり女を後宮に入れることができたという思いがあるからである。業平がそうした貴種であるからこそ、悲劇の主人公たりえるのだ。ここまでが、この段の前半。

又のとしの睦(む)月に梅(むめ)の花さかりに、去年(こぞ)を恋(こ)ひていきて、立(た)ちて見、居(ゐ)て見、見れど、去年(こぞ)に似(に)るべくもあらず。

「又のとしの睦月」は翌年。女がいなくなってから、ちょうど一年が過ぎたのである。「花さかりに」は花盛りという名詞か、花がさかりの時にという状態なのか断定できない。諸注は花盛りとするが、睦月に花盛りにでは、「に」の用法がダブって味がないので、後者と一応解しておく。

うち泣(な)きてあばらなる板敷(いたじき)に月のかたぶくまでふせりて、去年(こぞ)を思ひいでてよめる。

「あばらなる板敷」は、一年の時の経過で、邸がいかに傷んだかを物語っている。

 月やあらぬ春や昔の春(はる)ならぬわか身ひとつはもとの身にして

この歌はさまざまに解釈されている。問題は、「や」が疑問なのか反語なのか。福井貞助氏が両意を挙げているので、まずこれを引用しよう(一部改訂を加える)。

 月は昔の月ではないのか、いや昔のままの月である。春は昔の春ではないのか、いや昔のままの春だ。なのに、この身だけがもとのままで、あの人はおらず、何もかもが去年と一変してしまった(反語)

 月は昔の月ではないのだろうか、春は昔の春ではないのだろうか、あの人はいず、みな一変してしまったようだ、わたしだけがもとの身のままとは(疑問)。

 まず、地の文で、「去年に似るべくもあらず」とあり、「あばらなる板敷き」となっているのだから、状況として、去年と一変してしまったことは、否定できない現実である。従って、昔のままであるとの反語解釈は成り立たないという説明がある。この考え方は正しいが、間違いもある。まず、歌そのものは古今集にある業平の歌であり、この段を作ったのは業平以外の作者である。歌と地の文が同じ作者であれば、地の文にそって歌を解釈すべきであるが、この歌のような名歌では、地の文よりも歌の力が強くなってしまう。地の文では御しきれないのである。従って、地の文のみで解釈することは方法論として正しくない。方法論としては、地の文のベクトルと歌のベクトルの合成ベクトルと考えるべきである。とは言いながら、わたしもこの歌が反語ではないと思う。反語は、昔のままであるとの結論を出してしまうが、男が女のいなくなった現実状況を、受け入れることができないところにこの歌の眼目があると思うからである。
 では、下の訳でいいのだろうか。わたしは、下の解釈も問題があると思っている。この歌は倒置になっており、「わが身ひとつはもとの身にして月やあらぬ春やむかしの春ならぬ」がもとの形である。「わたしだけがもとのままで月や春が昔のままではない、なんてことがあるだろうか」と解釈すべきなのだ。よって、わたしだけがもとのままだとの解釈は間違いであろう。それもふくめて納得しえないところにこの歌の眼目があるのだから。
 さらに、月やあらぬを、月は昔の月ではないのだろうかと解釈するが、そうは書いていない。月を月として受け入れられないのである。つまり、頭ではわかっていながら、現実を受け入れられないところに、この歌の眼目があるのだ。全体を訳すと、
 月がないことがあろうか、いやあることはわかっている、しかし……、春が去年までの春でないことがあろうか、そんなことはないことはわかっている、でも……、恋人がいなくなった今、わたしだけがこうして変わらずにいる、そんなことがあろうか。

とよみて、夜のほのぼのと明(あ)くるに、泣(な)く泣くかへりにけり。

 結局、男は納得できないまま帰ったに違いない。

まとめ
 「それを」「本意にはあらで」について再考すべきことを述べた。和歌に関しては、「わが身ひとつはもとの身にして」が倒置であり、これをふくめた疑問であろうと思う。

付記
 五条のきさいの宮のにしのたひにすみける人に、ほにはあらてものいひわたりけるお、む月のとうかあまりはかりになむ、ほかへかくれにける。ありところはきゝけれと、えものもいはて又のとしのはる、むめのはなさかりに、月のをもしろかりけるよ、こそおこひて、かのにしのたひにいきて、月のかたづくまて、あはらなるいたしきにふせりてよめる
  ありはらの業平朝臣
月やあらぬはるやむかしのはるならぬ わかみひとつはもとのみにして(古今集十五 恋五)

 むかしをこふ   なりひら
月やあらぬはるやむかしの春ならぬ わか身ひとつはもとのみにして(古今六帖)

 五条のきさいの宮のにしのたいなる人にしのひて物いひけるか、正月十日よ日許にほかへまかりにけれは、又のとしの春、むめの花のさかりに、かのにしのたいにまかりて、月のかたふくまてあはらなるいたしきにふして
月やあらぬ春やむかしのはるならぬ わか身ひとつはもとの身にして(在中将集)

むつきの十日はかりに、ある女にものいひしを、この女かくれにしかは、いみしうおもひしほとに、またのとしになりて、そのありところはかはらて、むめのはなも月もいとあはれにさしいりて侍りしに
月やあらぬはるやむかしのはるならぬ わか身ひとつはもとのみにして(業平集)

詞書きの短い古今六帖をのぞき、いづれの状況もさほど違いはない。

五段 わか通ひ路の関守

原文
むかしおとこ有けりひんかしの五条
わたりにいとしのひていきけり
みそかなる所なれはかとよりも
えいらてわらはへのふみあけたる
ついひちのくつれよりかよひけり
ひとしけくもあらねとたひかさなり
けれはあるしきゝつけてその
かよひ地に夜ことに人をすへて
まもらせけれはいけとも(も=イ此当本)えあは
てかへりけりさてよめる
古今ひとしれぬわかゝよひちのせき
                 もりは
  よひ/\ことにうちもねなゝん
とよめりけれはいといたう心や
みけりあるしゆるしてけり
二条のきさきにしのひてまいり
             けるを
世のきこえありけれはせうとたちの
まもらせたまひけるとそ

注釈
むかしおとこあり(有)けり。東(ひんがし)の五条わたりに、いと忍(しの)びていきけり。

東の五条わたり/前段の五条后順子の邸の西の対に住む二条后を暗示する。

みそかなる所なれば、門(かど)よりもえ入(い)らで、童(わらはべ)の踏(ふ)みあけたる築地(ついひぢ)の崩(くづ)れより通(かよ)ひけり。

みそかなる所/人通りが少ないの意味ではなく、人に秘すべき理由のある場所の意味。

人(ひと)しげくもあらねど、度(たび)重(かさ)なりければ、あるじ聞(き)きつけて、その通(かよ)ひ路(ヂ)に、夜ごとに人をすゑて守(まも)らせければ、いけどもえあはでかへりけり。

「あるじ聞きつけ」とあるが、いったい何を聞きつけたのだろうか。夜ごとに人を据えて築地の破れを守らせているところからすると、娘のところに男が通っていることを聞きつけと考えられる。それを阻止しようと関守を置いたのであると。諸注もそう考えている。しかし、その解釈では難点がふたつある。ひとつは、男の詠んだ歌「人知れぬわが通ひ路」について、主人に気づかれているのになぜ人知れずと言えるのかが、説明できないこと。さらに、その読みでは、「人しげくあらねど」という不可説明に意味がなくなることである。歌はあとにして、この点についてもうすこし説明しよう。
 「人しげくもあらねど」は「(人をすゑて)守らせければ」にかかる。人通りは少ないが、とわざわざ断るのは、番人をつけるのが用心のためであって、娘への夜這いを阻止するのが目的ではないということである。主人は、娘へ夜這いがかけられていることを聞いたから番人をおいたのではなく、築地の破れを通って誰かが何度も中へ入って来ると報告を受け、それを阻止するために見張り役をつけたと考える以外に、「人しげくもあらねど」と書かれている意味を解釈できないのである。そこで、この関守は、通常考えられているような恋を阻止する人としてではなく、漠然と見張りをしているのだと考えることになるのだ。そして、そう考えることで初めて、難解であった次の歌の意味が十全にわかるのである。

さてよめる
人(ひと)知(し)れぬわが通(かよ)ひ路(ぢ)の関守(せきもり)はよひよひごとにうちも寝(ね)ななん
とよめりければ、いといたう心やみけり。

 歌意をとるのは簡単ながら、先にも説明した通り、関守がいるのに、どうして「人知れぬわが通ひ路」なのか、心ある注釈者は苦しんできた歌である(心ない注釈者は悩んだりしない)。ある注釈者は、男の気持ちとして人に知られたくないと考え、ある注釈者は、かつては人に知られなかったと時間差を考え、ある注釈者は、夢の中の逢瀬と解釈して切り抜けようとした。しかし、夢にまで関守を置く必要はなく、せめて夢にでも逢いたいなどの詠みぶりになるだろう。ここでの「人」は、主人や娘の兄弟たちであり、知らない内容は、娘のもとに通っていることである。関守にしてもそこまで承知はしていない。そればかりか、男の歌が女のもとに届いていることからして、この関守は、歌の通行を許可しているのである。もし、主人が男の夜這いを知っていて、関守をおいたのであれば、男の恋文など、決して通してはもらえないはずである。この関守は、ただ漠然と家を護っているだけだから、恋文を通すくらいの融通は聞きとどけてやれるのである。そもそも絶対的に恋をはねつけることが関守の役であるなら、「うちも寝ななん」などといった悠長な願望は抱きえないのである。関守は多く歌に詠まれるが、それは恋を塞き止める人であると同時に、逢えない二人の思いをいやまさせる恋を急きたてる人でもあるのだ。
 そもそも、門は塞き止めることと招じ入れるというダブル・ミーニングを持っている。ヤヌス神がそうであり、村々の境界線にあって、邪神の侵入を防ぐ塞(さえ)の神は、また道祖神として道案内の神ともなるのである(道祖神はまた男女交合のシンボルともなる)。関守というのは、そうした二重性をもつものなのだ。

 なお、女が男の歌を見たことは、「よめりければ」の「り」によって証明される。この「り」は完了であり、歌が手紙に書かれていたと考えるほかない。すでに書かれていた歌を女は読んだのである。ついでながら、関守が歌を通してやったことについて、一言。「わが」は「我が」と「和歌」をかける。つまり、親たちが知らない私の通り道の意味と、親たちの知らない歌の通り道の二つの意味を担うのだ。歌を通してくれる関守なのだから、わたしが通るのもちょっと目をつむってくれてもいいじゃないかということである。「よひよひごとに」は「かよひ」の「よひ」と音通で、毎晩毎晩わたしが通う毎にの意味。

 さて、「心やみけり」について、親にすねてみせる、関守をうらめしく思うなどの解釈があるが、論外である。文字通り、心を病んだのである。あれほど毎晩通って来た男が通って来ないのである。娘にすれば理由がわからない、あるいは、他に女ができたのではないかと苦しんでいるところへ、男の歌が来て事態を知り、「みそかなる所」という、まともには付き合うことのできない関係であるから、娘は絶望してノイローゼになったのである。

あるじ許(ゆる)してけり。

娘のノイローゼにあって、はじめて主人は事態を知り、男の通うのを許すことになったのである。実話としてはどうあれ、この段では親が認めたことになっている。

二条の后(きさき)に忍(しの)びて参(まゐ)りけるを、世の聞(きこ)えありければ、兄(せうと)たちの守(まも)らせたまひけるとぞ。

 この箇所は、後人の注が本文に組み込まれてしまったとされている。ここまで述べてきたように、男が夜這いするのを止めようとして関守をつけたと考えると、多くの矛盾を抱えることになる。そうした配慮のない後人がつけたものであろうと思う。

まとめ
 「人しげくもあらねど」があることで、根本的に読み直す必要が出て来た。このように、必要と思われない箇所があることこそ、なぜそれが必要であったのかを考えることが重要になるのだ。重要な部分は読み落とさないが、そうでない部分はつい読み落としてしまうものだからである。「人しれぬ」を関守までついているのに、人が知らないのはおかしいと考えては問題が解けない。親たちが夜這いをかけていることを知らないのである。また、関守がいながら歌が女のもとに届いていることは、関守が緩やかな番人であることを示すし、歌においても「人しれぬ和歌通ひ路」となっており、歌は、この関守が通したのである。

付記
 ひむかしの五条わたりに、人おしりおきてまかりかよひけり、しのひなりける所なりけれはか、とよりしもえいらてかきのくつれよりかよひけるを、たひかさなりけれはあるしききつけて、かのみちに夜ことに人おふせてまもらすれは、いきけれとえあはてのみかへりて、よみてやりける
 ひとしれぬわかゝよひちの関守はよひよひことにうちもねなゝむ(古今集十三 恋三)

 五条わたりに人をかたらひてしのひけれは、門よりもいらてかきのくつれよりかよひけり。あるしきゝつけて、かの道に人をすへてまもらせけれは、ゆけとえあはてかへりて
 人しれぬわかゝよひちの関守は夜ひよひことにうちもねなゝむ(在中将集)

 ある女のありしところに、よるみそかについひちのくつれよりありきしを、この家のあるしきゝつけて、人をすへてまもらせしかは、えいかてやりし
 ひとしれぬわかゝよひちの関守はよひよひことにうちもねなゝむ
 さてのち、このうたをいへあるしきゝてゆるしてき(業平集)

 ともに、主が娘に通う男の夜這いを遮る目的で関守をつけたことになっている。しかし、伊勢物語では「人しげくもあらねど」があるために、そのようには読めないことはすでに述べた。

六段 しら玉か

原文
むかしおとこありけり女のえうま
しかりけるをとしをへてよはひわ
たりけるをからうしてぬすみいてゝ
いとくらきにきけりあくたかはと
いふ河をゐていきけれは草の
うへにをきたりけるつゆをかれは
なにそとなんおとこにとひける
ゆくさきおほく夜もふけにけれ
はおにある所ともしらて神さへ
いといみしうなりあめもいたう
ふりけれはあはらなるくらに
女をはおくにをしいれておとこ
ゆみやなくひをおひてとくちに
をりはや夜もあけなんと思つゝ
ゐたりけるにおにはやひとくちに
くひてけりあなやといひけれと
神なるさはきにえきかさりけり
やう/\夜もあけゆくに見れは
ゐてこし女もなしあしすり
をしてなけともかひなし
  しらたまかなにそと人のとひし時
  つゆとこたへてきえなましものを
これは二条のきさきのいとこの女御
の御もとにつかうまつるやうにてゐた
まへりけるをかたちのいとめてたく
おはしけれはぬすみておひて
いてたりけるを御せうとほりかはの
おとゝたらうくにつねの大納言ま
た下らうにて内へまいりたまふに
いみしうなく人あるをきゝつけて
とゝめてとりかへしたまうてけり
それをかくおにとはいふなりけり
またいとわかうてきさきのたゝに
おはしける時とや

注釈
むかし男ありけり。女のえ得(う)まじかりけるを、年(とし)をへてよばひわたりけるを、からうじて盗(ぬす)みいでて、いと暗(くら)きに来(き)けり。

え……まじ/……できないだろう。
得/手に入れる。
女のえうまじかりけるを/女の手に入れられなかろう人をの意味で、「盗みいでて」にかかると考えられている。「の」は連体格もしくは同格とするのである。しかし、この読みでは、なぜ女を盗むことになったのか理由がないまま叙述が進む不自然さをもつ。「の」は主格であり、「を」は格助詞でなく理由を示す接続助詞である。女が手に入れられそうになかったために。こうした「の」や「を」の理解がないと、ひどくぎこちない文章に思えてしまう。
年をへて/長年。
よばひわたりけるを/肉体関係をつづけてきたが。「を」は逆接になる接続助詞。
からうじて/やっとのことで。手に入れ方が強引であったのではなく、これまでずっと辛い目を見てきたことが無くなったことを意味する。
いと暗きに/とても暗い場所に。

芥川(あくたがは)といふ河を率(ゐ)ていきければ、草の上(うへ)に置(お)きたりける露(つゆ)を、かれは何(なに)ぞとなん男に問(と)ひける。

芥川/水無瀬や大山崎近傍(京都と高槻の間のあたり)とする説と、御所の近くの名もなき川とする説にわかれる。前者は現代も地名として残ることが根拠であり、これを否定して御所近くとするのは、あとに、女の兄弟が参内途中で女を救出するとあるのに合わせるためである。つまり水無瀬あたりから参内はできないとするのである。ただこの段を素直に読んで御所にあまり近い感じはしない。想像をたくましくするなら、芥川という地名からして汚れた川である。火葬が一般的でなかった当時、川は死体を流す場所でもあり、街と村の境となり、また、この世とあの世の境であった。京都近郊の川としては現在、鴨川、高野川、宇治川、淀川、紙屋川、龍神川、鴨川およびその支流などである。そこからすると、男の逃げた先は、水無瀬の方向であろうと思う。神戸周辺には業平ゆかりの場所が点在し、そちらを目指したと考えるのが素直である。また鬼が出るのは、鬼門か裏鬼門の方向が多い。京都の北東か南西である。京都には大きな地下水脈が流れており、北東から南西に流れている。これらを考え合わせると、やはり都の南西が第一候補であり、ずばり指すなら、賽の河原に比定されている、佐比通りと紙屋川・龍神側のぶつかるあたりではないかと思う。今の阪急西京極駅のあたりである。なお、芥川が事件の舞台とされたには、鬼にまつわる伝説があった場所であること以外に、その音「あくたかは」が舞台設定に影響したと想像される。「あく」は悪であり、「かは」は詠嘆の助詞として働く、なんとおそろしいことかの意味を内包するのである。悪の音であるアクは仏罰のイメージが濃厚である。こうしたイメージが「芥川」の一語には感じられるのだ。
川を率ていきければ/この表現からすると、川を横断したのではなく、川沿いに歩いたふうに思える。
かれはなにぞ/「かれ」は露を指す。この問いに対する男の答えは地の文にはない。歌の中で「露とこたへて消えなましものを」と詠んでいるので、露であるは答えなかったことは確実である。

ゆく先(さき)おほく、夜もふけにければ、鬼(おに)ある所ともしらで、神さへいといみじうなり、あめもいたうふりければ、あばらなる倉(くら)に、女をば奥(おく)に押(おし)いれて、男、弓(ゆみ)胡簶(やなぐひ)を負(お)ひて戸口(とぐち)にをり、はや夜もあけなんと思(ひ)つつゐたりけるに、鬼(おに)はやひとくちに食(く)ひてけり。

ゆく先おほく/まだまだ目的地には遠いの意味。下の文とは逆接でつながると考えるほかない。まだまだ遠いのに。
夜もふけにければ/夜もふけてきたので。「も」は強調でもよいが、背景として女の体力が弱ってきたし夜もふけてきたと考えるのが実際的であり、女を休ませた理由ともなる。
神/かみなり。
あばらなる/粗末な。
やなぐひ/弓を入れる道具で、えびらよりも簡略なもの。
はや夜もあけなん/「なん」はあつらえの助詞、~してほしいの意味。夜も明け、戸口で見張りするような緊張からも解放してほしいという感じであろう。
ゐたりけるに/男は横にならず、座りながら追っ手がこないか見張っているのである。
鬼はやひとくちに食ひてけり/「はや」をすでにと考える説と、すぐにと考える説がある。ここは、男が見張っているという状況の中で、行為が終わった「てけり」という完了であるから、あっという間にの意味である。すでにという解釈が成り立つとすれば、男がはやく夜もあけてほしいと思ったよりも前に行為が終わっていたという場面くらいであろう。しかし、そう思いながら座っていたという状況が進行している中での「てけり」であるから、ここは完了のすみやかさであって、大過去をあらわすのではない。なお、鬼ひとくちは一種の決まり文句として使用されてゆくが、この段より前からそういう言い方が固定していたかどうかは不明である。しかし、この段そのものが、実話であるよりもおとぎ話的な語り方になっているのは確かである。

あなやといひけれど、神なるさわぎにえ聞(き)かざりけり。

あなや/悲鳴。あな恐ろしなど形容詞の語幹と結びつくのが普通だが、恐怖のあまり言葉にならないまま鬼にさらわれてしまったのだろう。

やうやう夜もあけゆくに、見れば率(ゐ)て来(こ)し女もなし。

女もなし/女の他に何もないのかは、歌の解釈のときに考える。

あしずりをして泣(な)けどもかひなし。

あしずり/仰向けに横になり、足をすりあわせて悔しがる動作。

しら玉(たま)か何(なに)ぞと人の問(と)ひし時つゆとこたへて消(き)えなましものを

「白玉」は真珠のことであるが、多く涙の比喩として和歌に用いられる。この歌はもともと女の歌であり、女が流したうれし涙を指し、それは真珠ですか何ですかと男に問われた時に、いいえ露ですと答えてその時に露のように消えてしまえばよかったと、後に心変わりした男の不実を嘆く歌ではなかったかと思われる。しかし、ここでは残された男の歌ということになっているばかりか、「しらたまか」との質問は地の文にはない。諸注ともに「白玉か何ぞ」までを女の質問とするが、詞書きを読む限りその解釈には無理がある。「しらたまか」は男の感慨である。白玉は露に縁語であり、つゆ知らずをかける。女が消えていなくなることとは思いも寄らなかったとの意味。こんなことなら、女があれは何ですかと質問した時に、露ですとこたえて、露のように消えてしまうのだった、と今に後悔している歌。地の文にないのに、女が白玉かしら何かしらと質問したと解釈するのであれば、白玉かしらという女の質問が、歌意に深くかかわってくるべきだが、白玉ですかとの質問には特別歌意に反映するものがない。「つゆしらず」がこの歌の鍵になっているのだ。おそらく男は、女の質問に対して、知っていながら「知らず」と答えたのであろう。しかし、知らずにいたのは、露の名でなく、その後別れ別れになる運命であったのだ。あの時「知らず」でなく「つゆ」だと答えて、つゆのようにはかなく消えていればよかったと後悔している。ここには、つゆと口にすることと、つゆのように消えることが、重なっている。言霊信仰が強烈に働いていることを考え合わせなければ、この歌は解釈できない。鬼が女をひとのみする世界と、不吉な言葉を口にすれば現実になってしまう世界には、共通性があるのだ。

これは二条の后(きさき)の、いとこの女御の御もとに、つかうまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗(ぬす)みて負(お)ひていでたりけるを、御兄(せうと)堀河(ほりかは)の大臣(おとど)太郎国経(たらうくにつね)の大納言、まだ下らうにて内へ参(まい)りたまふに、いみじう泣(な)く人あるを聞(き)きつけて、とどめてとりかへしたまうてけり。

二条の后/前々段、前段にひきつづき藤原高子。
后の/主格で「ゐたまへりける」にかかる。
いとこの女御/藤原良房の娘の染殿后。文徳天皇の女御となり、清和天皇を生む。その清和天皇の女御となるのが高子である。
堀川の大臣/高子の実兄。
太郎国経/同じく高子の実兄で長男だが、官位の順で後にまわされている。
いみじう泣く人あるを聞きつけて/さらわれた妹が泣いているところに偶然来合わせるというのは、いかにも不自然である。兄たちは妹を追いかけてきたと考える方が自然だ。あるいは、誰か見知らぬ人が女が泣いている場面に出会って助けたという事実と、高子の注釈として兄の名を書き留めたものが、写本の段階でいつのまにかくっついて、地の文の中にとけ込んだのかもしれない。いずれにしても、後人の書き込みと考えるよりない。

それをかく鬼(おに)とはいふなりけり。まだいとわかうて后(きさき)のただにおはしける時とや。

ただに/入内などしない状態。

まとめ
「しらたまか」を諸注のように女の質問ととるか、地の文にそんな質問はないとして男の感慨ととるか。「つゆとこたへて消えなましものを」で、つゆと答えることが、露のように消えることにつながるという言霊信仰が強烈に働いていることを読み取りたい。

付記
  よみ人しらず
しら玉か何そと人のとひし時露とこたへてきえなましものを(新撰集四 恋雑)

  題しらす 業平朝臣
しらたまかなにそと人のとひしとき露とこたへてけなましものを(新古今八 哀傷)

 もともとは詞書きがなく、歌単独で鑑賞されていた。本来の歌意は上で説明したようなものであったろう。

2021-02-11

Posted by 管理者